何有荘は南禅寺の隣にある庭園で、小堀遠州流派の小川治兵衛という人が1895年(明治28年)に作った庭園です。
元は700年もの歴史を持つ南禅寺塔頭のひとつであったとされています。
明治はじめに南禅寺が戦火で焼失していた三門を再建する資金を捻出するため、当時の南禅寺館長だった正因庵住職がこの塔頭を
実業家であり貴族院議員である稲畑産業の創始者稲畑勝太郎氏に売却したとされています。
稲畑氏はその後小川治兵衛に命じてこの庭園を作らせたそうです。またここを外国からの来賓を招き入れる目的もあったとか。
その一端が入り口付近の洋館の建物にうかがえるように思います。
最初は稲畑氏の命名で和楽園という名称で呼ばれていましたが、1949年(昭和24年)に稲畑氏が亡くなり、その後を譲り受けた
宝酒造(現宝ホールディングス)の当時の社長であった大宮庫吉氏が1953年(昭和28年)何有荘と命名しました。
何有荘の名前の由来は禅の言葉「何か有るようで何も無い、何も無いようで何か有る」から来ているそうです。
小堀遠州流の庭園は琵琶湖疎水から水を引いて園内に取り入れた敷地面積6000坪の築山林泉回遊式庭園です。
100年ぶりに公開された何有荘庭園ですが現在では再び2005年7月4日から残念ながら非公開となってしまっています。
宗教法人「大日山法華経寺」とある詐欺事件にからんで差し押さえられ、競売に掛けられているためですが、非常に残念なことです。
2006年現在では競売後、大阪のある不動産賃貸会社の手に渡ったようですが、
一般公開する意向は無いらしく、現在も非公開のままとなっています。
唯一何有荘庭園の紅葉がみられた2004年秋の風景です。
100年ぶりに公開された京都何有荘庭園の紅葉風景
2004年にこの年だけ公開された何有荘の紅葉の様子です。