詩仙堂の紅葉の見頃は11月中旬〜下旬頃です。
この時期は庭園内が見事な紅葉の色彩に彩られます。
詩仙堂は京都市東山区にある曹洞宗の禅寺です。
詩仙の間と美しい庭園で知られるこの草庵は、江戸時代初期に徳川家康の家臣であった
石川丈山が1641年に造営したと伝えられている庭園です。
詩仙堂の正式名称を詩仙堂丈山寺というのもこの草庵の造営者である石川丈山にちなんでのことです。
また詩仙堂の名前の由来は、狩野探幽・尚信が描いたとされる
中国漢晋唐宋の三十六詩仙像に石川丈山自身が書き加えたそれぞれの詩人の詩を
四方の壁に掲げた詩仙の間があることから詩仙堂と呼ばれるようになりました。
もともとは徳川家康の家臣だった石川丈山が、大阪夏の陣の際に手柄を立てたものの
先陣争いを禁じた家康の命令に背いた行動をとったことから功を認められず、
そのため家康家臣の地位を投げ出して文人の道を歩みます。
その後仕えた浅野家の転封に伴い広島に住み、その後京都に戻って来てこの場所に草庵を作り、
以後31年間に渡って死ぬまで隠居生活を送ったといういきさつがあります。
石川丈山自身は今で言うマルチな才能を持っており、漢詩人のほかにも造園家・儒学者・書家・茶人などの顔を持ちます。
この詩仙堂の名庭園は石川丈山自身が造営したというのもその才能ゆえです。
また庭園造営に当たって、丈山は凹凸か(おうとつか)と呼んでいます。
これはでこぼこした土地にある住居、斜面を利用した起伏に富んだ庭園だという意味だそうです。
また石川丈山はししおどしの発明でも有名で、添水(そうず)と呼ばれるししおどしが庭園内にはあります。
これはシカやイノシシの侵入を防ぐ実用性と、庭園に情緒をもたらす一石二鳥の発明となり、
以降日本庭園に広く取り入れられることになっていったようです。
最初凹凸かと呼ばれていた草庵と庭園もいつしか詩仙の間から名前を取って詩仙堂と呼ばれるようになり、
最近の昭和41年には禅宗の一派、曹洞宗大本山永平寺の末寺となったことで寺の文字が入り、
詩仙堂丈山寺というのが現在の正式名称となったようです。
小有洞(しょうゆうどう)と呼ばれる入り口の小さな門をくぐって中に入ると、石畳の道と竹林と庵が見えます。
そして受付で拝観料500円を払って中に入ると順路ですぐに詩仙の間に出ます。
詩仙の間の正面に見える白砂の庭園は青山と海を表すとされています。
また下の庭園部分は詩仙の間からは見えませんが、廊下を少し行ってから靴に履き替えて庭園内を巡る順路です。
石段を降りると下の庭園部分に出ます。
中庭には流葉(りゅうよう)はくと呼ばれる池を中心に紅葉の木々やすすきの穂があり、秋を感じさせてくれます。
比較的こじんまりとしている庭園ですが、ここは出来れば空いている時期にゆったりするのが良い気がします。
さすが紅葉の時期は人出が多いため、平日とはいえ特に詩仙の間では縁側に座る場所もなかったです。
詩仙堂の紅葉の壁紙写真
京都詩仙堂の紅葉時期の壁紙写真です。