三尾の名刹とも高雄三山とも呼ばれる槇尾西明寺の紅葉の様子です。
境内はさほど大きくないですが、散り紅葉が見事でした。
西明寺は京都市右京区にあり、元々は神護寺の別院として出来たものです。
西山槇尾平等心王院とも呼び、1290年に神護寺別院から独立しました。
神護寺のあるところを高雄、西明寺のあるところを槇尾、高山寺のあるところを栂尾と呼び、
三尾の名刹と呼ばれていて、いずれも高尾の紅葉の名所です。
開基は弘法大師の弟子の智泉法師で、真言宗に属する寺院です。
天長年間の824年〜834年頃に建立されたと伝えられています。
本尊は釈迦如来で、本堂に安置されています。
戦国時代の永禄年間(1558〜1570)年ごろ戦火のために焼失してしまったものを
1602年に明忍法師によって再建されたものだそうです。
現在の本堂は1700年に徳川綱吉の母である桂昌院の寄進による再建と伝えられています。
今回は西明寺の表門(一間薬医門)からではなく、横にある入り口から入っていったため、
表門や参道は行っていません。
神護寺参拝の後、清滝川沿いに歩いていると西明寺へ向かう斜めに上がる分岐があり、
そこから登ってゆくと偶然本堂隣の勝手口みたいな所へ出てゆきました。
そこには早朝からアルバイトの学生みたいな人がいて、拝観料400円を徴収されました。
槇尾と聞くと、大阪和泉市にある
槇尾山施福寺と何か関連がありそうですが、
共通しているのはどちらも弘法大師所縁の寺であること(但し開基は違う)
あと、西明寺が荒廃していたのを再興したのが
建治年間(1275〜78)に和泉国槇尾山寺の我宝自性上人であるという記録が残っているそうです。
その後1290年に平等心王院の号を後宇多法皇から賜り、西山槇尾平等心王院として神護寺より独立していることから、
もしかすると槇尾の名前は西明寺を再興した槇尾山施福寺の当時の住職
我宝自性上人によってもたらされたものかも知れません。
もちろん歴史は槇尾山施福寺の方が圧倒的に古い(行満上人・538年)ため、
槇尾の元祖は間違いなく施福寺のほうですが。
また現在では施福寺が天台宗、西明寺は真言宗という宗派の違いはありますが、
もともとは施福寺も江戸時代までは真言宗であり、その後天台宗に鞍替えした歴史を持っているようです。
西明寺(槇尾)の紅葉の壁紙写真
高雄三山の一つ、京都西明寺の紅葉です。