長浜城は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が初めて築いた城としても有名で、
滋賀県下屈指の桜の名所としても知られています。長浜城の歴史は戦国時代に遡ります。
築城は羽柴秀吉で、長浜城の完成は1576年秋です。
当時織田信長の家臣であった羽柴秀吉がまだ木下藤吉郎を名乗っていた頃、
湖北の浅井長政攻めで大活躍した藤吉郎はその功績を信長から認められて、
当時浅井氏の領地であった今浜(現在の長浜)一帯12万石を領地とし、長浜城を建築して城下町を築きました。
初めて一国一城の主となった秀吉は、その後今浜の地名を長浜に改め、現在に至っています。
この長浜城ですが、徳川家康が天下を取り、江戸幕府による1615年の一国一城令によって
わずか建築から39年ほどでその姿を消すこととなります。
そして長浜城の解体後の建物や石垣などの建築資材は琵琶湖を船で運ばれて
1603年に始まり1622年に完成した
彦根城の建築資材として使われ、
今でも天秤櫓など、長浜城から移築されたとされる遺跡が残されています。
現在ある天守閣はもちろん当時のものではなく、1983年に市民の寄付などにより復元されたもので、
内部は歴史博物館として使用されています。
さてそんな歴史を持つ長浜城ですが、ここはもちろん豊臣秀吉ゆかりの地として開けてきたところです。
長浜城跡地は現在では天守閣にある博物館とともに豊公園として広く市民に親しまれています。
1909年(明治42年)に完成した豊公園の豊はもちろん豊臣秀吉の豊をとったものです。
豊公園の桜は総本数約800本と多くは無いですが、
日本の桜名所100選にも選ばれており、長浜城天守閣上から見下ろすと
まるでじゅうたんを敷き詰めたように公園に咲き誇っていて見事です。
また見事な桜は豊臣秀吉が好んでいたことでも知られています。
一方でここ長浜の地は当時大阪・堺と並んで火縄銃と呼ばれる鉄砲のニ大産地であり、
戦国時代、国友鉄砲鍛冶と呼ばれる人々が大活躍したところです。
戦国時代火縄銃に使われていた火薬や鉄砲鍛冶がその後形を変えて花火や花火師が誕生する基となり、
毎年8月5日に行われる
長浜花火大会の礎となっていったわけです。
長浜城歴史博物館への入場料は400円かかりますが、上から見下ろす豊公園の桜は見事なものです。
4月上旬〜中旬頃に見頃を迎える桜の時期には特にオススメです。
長浜城 桜の壁紙写真
桜の時期の長浜城の壁紙写真です。