紅葉の頃の黒部ダムを訪ねました。
後立山連峰は初冠雪で白くなり、黒部ダム周辺は紅葉しており見事な風景でした。
黒部ダムは別名黒部第四ダム(クロヨンダム)とも呼ばれるアーチ式ドーム越流型ダムです。
この名前は関西電力黒部川第四発電所に発電用水を供給していることからそう呼ばれています。
アーチ式コンクリートダムとして日本一の堤高186mを誇り、そのまれに見る難工事で有名なダムです。
また堤防の長さは492mもあり、総貯水量はなんと約2億立方メートル、また面積は349haもあります。
この総貯水量は何と東京ドームに換算すると160杯分にもなるそうです。
黒部ダムは黒部川の水を堰き止めて作られたダムですが、建設されたのは着手が1956年(昭和31年)、完成が1963年(昭和38年)
実に7年間もかかるという大工事の末、ようやく完成しました。
なぜこんな大工事が必要になったかというと、終戦後の深刻な電力不足を解消しなければならないという目的があったためです。
黒部ダム建設の際に最も問題になったのがどうやって建設資材を運ぶかという点です。
背後に立山連峰や後立山連峰などの2500m〜3000m級の北アルプスの山々が連なる峡谷で、どうやってこれだけの規模のダムを建設するか
それが後々の立山黒部アルペンルートの一部ともなっている大工事の発端です。
現在アルペンルートで信濃大町から黒部ダムへ抜ける大町トンネルはもともとは建設資材を運ぶために作られたものです。
この大町ルート建設のために後立山連峰の赤沢岳(標高2687m)直下を5.4kmに及ぶトンネルを掘りますが
この際に大町側から2.6kmのちょうどトンネルが赤沢岳山頂直下を抜けるあたりの地点で
大量の冷水が噴出する大破砕帯に遭遇し、多数の犠牲者が出たため工事は中段を余儀なくされます。
開通も絶望視されていましたが、当時最新の土木工学や技術の粋を集めて80mの破砕帯突破に7ヶ月もかかって
ようやく昭和33年5月に大町トンネルの開通にこぎつけました。
しかし一方で大町トンネルの開通に時間がかかりすぎたため、それまでの期間、資材搬入は標高2700mの立山一ノ越峠を
50kgを越える荷物を背負って人力で越える、あるいは急斜面をブルドーザで上り下りするという、
命がけで途方も無い苦労があったそうです。
またこれだけの規模のダムをどうやって水を堰き止めて建設できたかですが、
トンネル開通より先に山越えで現地入りした資材や機械を使って仮水路を掘り、水をそちらに流してダム建設が行われました。
またこれほどの規模のダムでは、ダム両側を支えるために直接岩盤で水圧を支える構造が必要になってきます。
アーチ式ドーム型ダムは水圧を分散できるため、重力ダムに比べて比較的薄く作れますが、それだけでは支えきれないわけです。
ようやく完成した黒部ダムは、現在立山黒部アルペンルートの大町側の玄関口ともなっています。
6月26日から10月15日までは毎秒10立方メートルも噴出す大迫力の観光放水を見る事が出来ます。
黒部ダムや黒部湖周辺の紅葉の見頃は10月中旬頃、運がよければ三段紅葉もみられます。
黒部ダムと紅葉と観光放水
紅葉時期の黒部ダムの観光放水と三段紅葉の壁紙写真です